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チーム はちまき
被災地生活支援グループ
私たちは、2011年3月11日に発生した『東日本大震災』で壊滅的な被害を受けた宮城県の南三陸町歌津地区を中心として活動しています。主な活動は、お宅を訪ねての「傾聴活動」と、3月に行う「慰霊と希望の灯3.11」や、お花見・いも煮会などの交流です。
また、庄内各地の町内会や子供防災教育などで、講話や実技などで伝える活動も行っています。 2018年・2019年・2020年は日本各地で自然災害が発生。活動場所、内容も多岐にわたりました。 私たちは、2021年も身の丈にあった、寄り添いの活動を続けていきます!
山形新聞 様・荘内日報 様に掲載していただきました


2019年3月12日 山形新聞 掲載
![img_2019031200152[1].jpg](https://static.wixstatic.com/media/fd3352_d8727b954c6d42b9b39ff0b2a716f9d8~mv2.jpg/v1/fill/w_600,h_386,al_c,lg_1,q_80,enc_avif,quality_auto/img_2019031200152%5B1%5D.jpg)
東日本大震災で大津波に襲われた宮城県南三陸町歌津地区は11日、8年前と同じ暗い空に覆われた。所々で通行止めの道路網、整備途上の防潮堤が目に入り、復興への道のりが容易でないことを思い知らされる。大津波は家だけでなく、親しい人の命も奪っていった。だが、ここには笑顔を取り戻した住民が少なくない。傍らには、被災者に寄り添い続ける山形の人たちの存在があった。
庄内地方のボランティアグループ「チームはちまき」は同地区へ継続的に足を運び、住民との交流を図っている。この日は料理サークル「クッキングママ」のメンバーと共に館浜・稲渕集会所を訪れ、手作りのおこわやケーキなどを振る舞い、近況を語り合った。
交流会は、高台移転した世帯のコミュニティーづくりに一役買っている。海際の自宅が津波で全壊した千葉和子さん(74)は「山形から来てもらうことで、私たちも手を取り合って頑張っていこうと思える。この会があるから、みんなが元気で過ごしているんだと安心できるの」と感謝する。
牧野陽子さん(74)は津波で同県東松島市の兄夫婦を亡くした。3月11日が来るたびにむなしさが募り、涙があふれてくる。心の傷は深く、まだ十分には癒えていない。それでも前を向こうと思うのは、気に掛け続けてくれるチームはちまきのメンバーがいるからだ。「せっかく助かった命、頑張らなきゃね」。複雑な思いを抱えながらも、自らに言い聞かせている。
集会所では交流会に合わせ、「慰霊と希望の集い」が開かれた。住民たちは献花台に花を手向け、震災の発生時間を知らせるサイレンが鳴り響く中、そっと手を合わせた。
チームはちまきの菅原千佳さん(59)=遊佐町=と佐藤薫さん(62)=鶴岡市=は「8年の経過で環境が変わり、新たな悩みも出てきている。特別なことはできないが、今後も身の丈に合った支援を続けていきたい」と決意を新たにしている。「はちまきの人たちの顔が見たいねぇ」。この声が掛かる限り、支援の手を差し伸べる。そこに、自分たちを必要とする人たちがいるから。


山形新聞・平成二六年三月掲載




山形新聞・平成二六年五月掲載

山形新聞・ 平成二六年七月掲載

山形新聞・ 平成二七年三月十九日付
山形新聞・荘内日報/ 平成二六年三月掲載


2016.1.16 山形新聞

2016.11.10

2017.6.8 山形新聞
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